2011年4月         

  ミモザ  こーんなに咲いています。

 

 

      夕方のオブジェ

 

 

 トサミズキ  黄色の花が降りてきました。

 

「宮沢 賢治の手紙」 の本を読んでいた。
表紙の帯には 一行 ”生きていきましょう”と記されている。
 
── お膳の魚や肉を感謝もせず 時には不平にこれを
 命とも思わず まずいのどうのという人たちを 食われるものが
 見ていたら 何というでしょうか。
 ・・・尊い惜しい命をすててささげたものは 
          人々の一寸のあわれみをも買えない ──

とびとびではあるが そんな事が手紙につづられている。
心にずっしりきて、しんみりして、毎日の食事や 生きている
今日の事を考えていた。
それから数日後、大きな地震に見舞われた。
生活は 一変した。食物・水・電気・・・物資の供給も定かでない。
グラッと時々 揺れる。 緊張が走る。
もっと大きなものがくるかも知れないし、来ないで終るかも知れない。
定かな事は 何もない。 はじめから 定かな事など何も なかった
のだという事を 今回のでき事が再認識させてくれたのだと思う。

一日の終わりに 湯につかる。 
この今・・・であり、この幸せ、これが最後の入浴であるかも知れず
 だから この今をしっかりつかまえる。 実感する。
瞬間のでき事をリアルにとらえることが 妙に大切に思われてきた。
人の存在、残された品々・・ 食料が・・・ 
 とりまく風景も、この世のすべてが貴い。
当たり前のことが はじめて私の中心に 届いたような気がする。
かつて 経験した事のない毎日が はじまった。

                      

         2011年 3月19日 記す     加藤 文子


          

               階段をあがると・・・

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