2020年4月         


咲き分けのボケ


門扉のわきで咲く アセビ



今年のツバキは・・・



軒下に 松を出す




 

食卓から近い所に植えた ツバキの古木が 花を咲かせている。
いつもは下向き加減に咲いているのに 少し上向きに・・
しかも それぞれが 大きく見える。
例年にくらべ 花の数が少ない分 栄養が行き届いたのだろうか。
ひとつひとつに存在感がある。

2011年 3月11日 あの日も雪の舞う中 惨事をよそごとのように
ツバキのあでやかな赤が 満開だった。
常緑の濃いみどりの葉のあいだを 埋めつくすように咲いていた。
ダンコウバイの木の下では 移植した福寿草が ピカピカの黄色の
花びらを 空と対峙するように 全開させていた。
物が散乱する室内 棚下に落下した盆栽を温室の中で目のあたりに
した時 波立つ気持ちを落ちつくよう促してくれたのは
あたり前に季節を迎え 通過しようとする花々の姿だった。

コロナウイルスの出現 大いなる意思 
神は私達をどこへ連れて行こうとしているのか
起こっていることをどうとらえ どう過ごしていたら良いのか
心の持ち方を問われる事態が またもや発生している。
事柄はちがっても この空気感  3.11 と重なってしまうのだ。

一日 家を空けた翌朝 温室の様子を見に行ったら トサミズキの
チャイムのような蕾が 今にも開きそうになっている。
雪柳も華奢な枝先で 白い小さな花びらが展開。
黄梅は ラッパ状の黄花をつき出している。
一日・・・いいえ 半日で景色が変わる。
植物は植物をしている。自分をしている。

私も・・・肥料や虫対策 温室に取り込んだ植物を 外へ出す準備を
はじめよう。水やりも頻繁になる。植えかえだってある。
口は慎み よく考えないと頭の中が混雑しそうだ。
コロナはコロナ・・。まごまごしている場合ではない。

「これもまた過ぎ去る 」 フーフィ教徒たちに伝わる賢者のことばが
思い出される。

2020年 3月8日 記す   加藤 文子

   




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